vbnm1005の日記

恥をかき集めた

言葉を「普通」にしたい

私の文章は、生意気だといわれてきた。

幼少期、人との距離感がよくわからなかったせいか、人よりもずっとずっとはやくインターネットに溺れた。小学校3年生くらいだと思う。ソシャゲで出会った大人の人たちとの交流を通して、他人との関わり方を学んだ。アイテムの取り合いを巡って自己中心的な性格を指摘されたこともあった。今も人と器用に親しくできるわけではないが、最低限の社会生活は営める程度の意思疎通能力はある…と思う。あるよね…?

だからこそ、年相応の文章が書けなかった。「斜に構えていて不気味、中二病そのものという感じだね」と指摘されたこともある。そんなつもりはない。むしろ内面は、年よりもずっとずっと幼かった。それは今もだけれど。

高3のとき、国立の二次試験対策で、国語の先生に「あなたは抒情的な文章をかくけど、それは論理的な答案と相いれないものかも」と指摘されたとき、すごく腑に落ちた。成る程、たしかに私の文章はポエムだった。

それと、話し言葉を文字に反映させるのも下手だった。ら抜き言葉をツイートすることすらできなかった。つまり、論理的な場でもくだけた場でも、常時ポエムを吐き出していたわけだ。そりゃあ、生意気だし、気持ち悪い。

 

大学生になったら、自分の気持ち悪さを消そうと決意した。都合よく、論理的な文章に触れる機会も、ラインなどで話し言葉を文字化することも、圧倒的に増えた。文章を「普通」に近づけることは、思ったよりスムーズだった。

 

しかし次なる壁が待っていた(こういう言い方が抒情的とみなされるゆえんなのかもしれないけれど、今日はちょっと勘弁してほしい)。方言だ。

私は、父の仕事の都合で3歳から18歳で浪人するまで、ド田舎県の地方都市に住んでいた。それ以前と浪人の1年は、大きい枠でとらえたら同じ地方ではあるが、転勤族の多い政令指定都市で暮らしてきた。言語が発達する時期に、ド田舎県の地方都市(以下便宜上ゴーストタウンと呼ぶことにする)で過ごしたのは家族のなかで私だけである。

幼稚園や学校で覚えてきた言葉が、ゴーストタウン特有のイントネーションや言葉遣いだった場合、「将来、都会で暮らしたいなら苦労する」と強く指摘された(今思うと家族の気持ちもわかるし、一方でその家族のあり方もいかがなものかという疑問もいまなら抱ける)。さらに、ゴーストタウンの小学校教育からは、比較的方言を排除しようとする姿勢があったため(まあゴーストタウンの人が標準語を頑張って真似しているだけの「標準語」なんだけど)、ゴーストタウン弁はダサいという風潮も若干あったことから、よけいに意識してきたように思う。

今思うと、話し言葉を文字化するのがへたなのは、幼少期に方言を抑えてきたことも少なからず影響しているのかもしれない。…と軽く断言して気づいた。前の記事で自分がいった、暴力的な因果関係をみいだしてしまっているじゃないか。バカバカバカ。

 

高校生くらいからは、妙にゴーストタウンへの愛着がわいたのもあり、開き直って方言を話すことが増えた。周りがそうだから、会話をする上でとても楽だったし。とはいえ自己認識は方言はあくまで第二言語。標準語が第一言語バイリンガル、という感じだったかな。実際、ほかの地方の人と出会うと、「ゴーストタウン出身なのになまっていないねー」と言われる機会も多かった。そのたびに私は都会に通用する人間だと疑いなく思っていた。

 

親の指導のもと方言を意識する機会が多かった、というのがポイントだ。ゴーストタウンよりは都会であるとはいえ、親が暮らしてきた政令指定都市も、大きいくくりでいえば同じ「地方」だったのだ。

私の出身地方は、語彙が男言葉だ。「お前」というのは蔑称ではなく、単なる二人称だ。「やべぇ」というのは、「あら大変」程度の意味だ。出身地方を離れてから、ほかの人とおしゃべりしているときに、自分の言葉遣いが荒いのではないかと気づく場面が多々あったのである。中部地方出身の祖母に、「あんたは言葉遣いが悪い」とたまに指摘されていた意味を、やっと理解した。

私が大学生活を過ごしている関西地方は、というよりかは関東以西の人々は、方言を愛している人たちが多い。だから、自分は訛っているのではないかという不安からは解放された。といいつつも相変わらず、「ゴーストタウン出身なのに、きれいな『関東弁』を話すねー」と言われると、ちょっとにんまりしてしまう。ゴーストタウン出身であることを結構誇りに思っているくせに、まだまだ都会への憧れは消えない。

ともかく、言葉遣いが荒いとみなされてしまうのは誤解を招きうるので、日々意識しなければならないんだなとは思う。

 というわけで、ようやく不自然な文章の矯正から解放されたはずなのに、まだまだ私は言葉を意識しつづけなければならないようだ。