vbnm1005の日記

恥をかき集めた

トーキョーとGW

来週木曜の発表準備が一向に進まない。仕方ないのでアウトプットのブースターとしてブログをしたためることにする。制限時間は40分とでもしておくか。

最近、自分のことを過大評価していたことを実感している。私はどうやら孤独に強くないようだ。どこにいっても楽しいことを見つけられるし、周りに誰もいなくても思い出を糧に生きていける、ネットさえあれば問題がないタイプと思っていたんだけどな。
結局のところ、感想を言う相手がいるから生きられていただけなのだ。関西から友達がどんどんいなくなり、周りはカレンダー通りに生きるようになる&家庭や仕事で満ちたりしているなどライフステージが変わっていくしで、勝手に距離を感じてしまう。いまだに名実ともに青年期に取り残されている私は、埋められない感情と向き合わなければならない時がきたのだろう。

大学受験に失敗し、しぶしぶ京都にやってきたのがもう5年以上も前のことになる。実家がある限界都市からも、ゆかりのある政令指定都市までも、それぞれ約700km以上。知人は数人しかおらず、人生初京都は家探し、歴史にも古都にも興味なしという、文字にするとなかなか絶望的な状況だった。しかも私のドンくささが原因で、引っ越しの手伝いにきた家族とは喧嘩別れしたまま一人暮らしをスタートさせた。
でもその翌日には、マイペースな暮らしに魅了されていた。市バスの路線図を片手に京都の地名を片っ端からおぼえてみたり、さらに実際におりてみたりもしたと思う。四条烏丸で降りて、今は亡きジュンク堂に赴き、大学受験の参考書コーナーに吸われたのが記憶に新しい。ちなみに初梅田のときも、茶屋町ジュンク堂に赴き、同じようなコーナーに出かけた。まったく、つまらないことをしていたな。といいつつも、この間ライブの帰りに茶屋町ジュンク堂に寄ったとき、専門書やら新書やらのコーナーにいた。結局根本はなんにも変わっていない。リラックスしたかったのな。本屋でオンオフつけられないのはいたいのでは?
その時点で新しくできた友達は誰もいなかったけど、人恋しいとかはあまりなかった。その後も進学先の私立大学の雰囲気にはなじめなかったものの、浪人時代の友人に文句を垂れ流していたら、次第に馴染めないことに慣れた。とはいえ結局、数人の親友に恵まれたし、2週間足らずで国立大のインカレサークル(テンプレ陰キャ集団)に居場所を見出せたし、結局GW前には寂しいかどうかも意識しなくなったと思う。
自身のことを地方から進学してくる女子大生のテンプレにははまらないことを確信し、自分の力で生きていく道を選びたいな、と漠然と決心したのはこのころのことでもあった。

さて、そもそも私には故郷がない。
杜の都で生まれ、物心がつくかつかないかくらいのころに限界地方都市へ転居、浪人時代を再度杜の都で過ごし、そこからはずっと京都。限界地方都市は私の親類にとって縁がない土地なので、なんとなくずっと自分のことをよそ者だと思っていた。帰属意識はずっと杜の都にあったのかもしれない。ひとりで部活をさぼっていく先は、イオンでも駅前でもなく仙台だった。お年玉をはたいて、一人で片道3時間半の道のりを高速バスで出かけた。高校生のときは、夜のディズスト付近を普通に歩けるのが自慢だった。私はいなかもんじゃないんだ、という自負があった。でも今はそれ以上に、田舎のことをオリエンタリズム的な視点でとらえる都会の人も嫌い。ちなみに同様に、現場の人を馬鹿にするエリートも、エリートを鼻で笑う現場の人もどちらも嫌い。
結局私はどこにも居場所がないのである。故郷のみならず、とにかく帰属できている集団がない。これが孤独の最大の原因なのだろう。あらとあらゆる社会集団を相対的にみて、そこのノリに擬態して入り込んでいるだけ。妄信できる社会集団があれば、わき目もふらずに生きられるんだろうか。
でもそれってつまんなくない?私の研究の関心も、こういう生き方だからこそ着想できたものだし。いま親しくしている友達が、私の変な話を聞いてくれるかぎり楽しく生きられるはず。うっかり長寿になっちゃったらどうしよう。でも大丈夫、たぶん私は年下の友達をつくっているはずだ。
研究を深めようとすればするほど、この世界は所詮決定論的なもんなんじゃないか、と虚無に陥る。私がなにかに駆りたてられているのも、保守的な路線に揺り戻されようとするのも、それにあがくのも、全部予定調和なのかもしれない。核心に近づけば近づくほど、不安でたまらなくなる。そういえば師匠は、年を取ると諦めがつき、小さな希望を見つけられるようになると言っていたな。なにかにハマっている演技をしながら、悪態をついてバランスをとるくらいが「いい大人」なのかもな。洗脳はされたくないし、というかされる才能もないんだと思う。

東北を出て6年目、もはやふたつの地元に対して強く感情が揺さぶられることは少ない。昨日の続きかのごとく家に帰り、ちょっとした外出のテンションで日常へ帰っていく。家族ともこれといって特別な会話もしない。雑談はするけど、すぐ部屋にこもってしまう。あまりにも淡々としているせいか、昔はさみしがりやで可愛かったのにな、と家族は笑っていた。でも、上りの新幹線の車窓から見る仙台―名取間の風景や、飛行機の機窓でどんどん小さくなっていく限界都市の街並みをみているときに、私がどう感じているかなんてしらないでしょうね。

最後に、私の今年の目標を唐突に述べて終わろうと思う。「トーキョー」を概念として捉えなくなること。「トーキョー」に吸い上げられた友達がはるか遠いところにいってしまった錯覚を、もう抱きたくない。でも私はやっぱり、「トーキョー」をしらずに死んでいく可能性の高い人間なのだ。
梅田よりも、新宿や渋谷はずっとずっと難しい。人にぶつかってしまう。立ち尽くしているときに声をかけてくる世話焼きな人もいない。

以上、羽田新ルートの下の某公共図書館にて。ほら、概念じゃなくなっている。