vbnm1005の日記

恥をかき集めた

「田舎」と「個性」を捨てる

私は田舎者である。ただ、田舎に住んだことのある人間ならよくわかると思うのだが、「田舎」を定義する上では、結構段階ってもんがある。とりあえず、何かしらのコンサートや展覧会に行けなくてストレスをおぼえることが多い場所、というのをここでは田舎と定義してみようか。いや、そうすると東京23区、いやもっと範囲が狭いか、とにかく……ごく限られた範囲以外全部田舎になりうるな。

自分の住んでる環境より明らかに都会に住んでる奴に、「田舎に住んでて〜」と言われると腹立たしく思うのも、田舎モンあるあるなのかもしれない。先日五稜郭タワーのてっぺんで、都会だなぁ〜と眼前の風景を見下ろしていたとき、TシャツにGパンという服装ながら謎に垢抜けている生粋の都会人が、「田舎の風景って感じでいいね〜」と恋人らしき人に甘えていたのを目撃し、台パンをキメたくなったのが記憶に新しい。私がSDJのエス◎ルで買った一丁羅の1万円のワンピースは、都会人の上下1980円のユニクロにとうてい敵わないのである。

 

五大都市のどこかで生まれ、限界地方の県庁所在地の駅裏で育った。ああもうフェイク入れるのが面倒になってきた。ただ真の都会人の方が想像されるであろうのどかな田舎と比べると、かなり文明的な生活を送っていたとは思う。地元に広がるのは、よくある国道沿いみたいな風景。新幹線が通るのに合わせて開発されたエリアなので、京都のごとく碁盤の目状になっている。徒歩圏内でチェーン店の類いはすべて揃う。スタバもコメダも徒歩圏内。県で一番大きな図書館や美術館、大学などの文教施設は学区内かせいぜい隣学区。ローリーズファームやロペピクニックまでは揃う。でも、beamsとかノーリーズはない。シンプルな資生堂カネボウはあるけど、ローラメルシエやRMKはない。そんな感じ。日常生活だけする上では京都府上京区西陣エリアよりは遥かに便利なのである。クルマ社会と言われながらも、クルマなしで生きていけるほどだから(カルロス・ゴーンがhave goneしたせいでクルマが一台修理できなくなった)。外を見なければ、外を知らなければ、外と比較しなければ、満たされた暮らしができる。豚箱のような狭いワンルームではなく、庭付き一軒家に住むのも楽勝。

でも私は、ずっとここにいちゃだめだ、出なきゃいけない、と小学生くらいから意識していた。私の両親はあの街の人間ではない。ふたりはあの街に対するスタンスが違うとはいえ、私に対するメッセージは近いものがあったと思う。

たとえば、家族での買い物はSDJ。あとは、通販の駆使。高校生まで、あの街にないお店で全身かためていることに謎のプライドを抱いていた。とはいえあまりファッションに対する自我がなかったので、都会的な感覚をもつ母親に服選びを委ねていたんだけど。そして、そうやって人任せにしてたから、浪人〜大学前半くらいまで田舎の中高生みたいな雰囲気を纏う羽目になったんだけど。まあいいや、話が脱線してしまった。当時perfume が好きだったのもあって、ナチュラルビューティーベーシックあたりをよく着ていた気がする。20代安月給OLみたいな服装だったな。そして当時購入した服を、平気で今でも着ている。だって年相応だべ。父は、あの街からSDJまでの高速のオービスの座標を暗記している。高速を降りると、自然な流れでクルマが止められ、無言でソフトクリームにありつく。だってあの街にはミニストップがないから。ソフトクリームを食べながら、帰ってきたなぁ〜と実感する。そう、帰る場所はSDJ。

 

でもやはり、日常生活においては、あの陸の孤島のなかに閉じ込められていた。毎日東京やSDJとつながる新幹線の下をくぐっていたのにかかわらず、つながっている実感はなかった。基本的には非進学校、でも所属クラスだけは典型的な自称進学校、宗教系・良妻賢母系の窮屈な教育方針、触覚禁止という奇妙な貼り紙で埋め尽くされた校内、部活の休みは盆と正月とテスト直前だけ、オープンキャンパスにさえ行かせてもらえない部活の同調圧力、地元の国立大を目指すのじゃなぜダメなのかを説明できなきゃいけない学校の雰囲気、なのに最低でも旧帝でしょという身内の空気感、あなたはこのままだとロクな大人になりませんよという「大人」からの脅し、学習習慣皆無、授業中は脳内で音楽を流してやりすごすだけ、カンはあるから偏差値40はギリ切らない感じ、英語は中1レベルも怪しい(eatedとかseedとか書いてある高2の定期試験をこの間みっけちゃった)、なのにオーラル重視の授業のお陰かカンで中3か高1で英検2級は取れちゃう、大抵の科目のテストは全て同じ記号で埋める、社会科は大喜利、保健だけ勉強して避妊方法に詳しくなる(でも交通事故防止の単元で間違えて学年一位を逃したはず)、…そんな日常のなか、私のなかに色んな歪みが生まれていたように思う。あんまり覚えていないけど、毎日が怖かった。明日が来ないでほしいと思っていた。ヘラヘラ笑っていたんだけどねえ。これがThe思春期というヤツだったんかな。

 

そんな高校生のとき、部活をサボってSDJに向かったことがあった。だって、家の近くのバス停から広瀬通まで乗り換えなしだもん。もうあの街には、私という「ズレた」人間を受け入れてくれるキャパなどないという確信を胸に、「都会」に降り立った。んで、慣れた顔つきで買い物をしてみたり、夜のBNチョーもひとりで歩いてみたりもした。でもそれだけじゃなくて、実はなんと某予備校にも出向いている。その後一年を過ごすことになる、あの忌まわしいか忌まわしくないかよくわからないあの組織のアジトに、実は高校生の時に潜入済み。地元の旧帝大コースの無料体験イベントに行ってみたのだった。理由としては、自分の立ち位置を知りたかったというのが大きい。私がこの窮屈さから脱出する手段は、おそらく勉強しかないんだろうなって察していたから。ただでさえ学校のなかではそんなに上位でもないのに、自分の学校から行く人はほとんどいない高いレベルの大学を目指すことが無謀なのは知っていた。でも、一縷の望みにしがみついてみたいと思うほどには追い込まれていた。

さて、某予備校のBのほうの建物の形状(完全に内輪ネタ…)は、当時の私には意味不明だった。そんななか、入口に立ち尽くして困惑しているときに、なんか見るからに親切そうなおなごが通りかかった。「ごめんなさい、◎◎って教室どこですか?」……なんと、このとき意を決して話しかけた相手は、浪人時代を共に過ごし、さらにはいま、京都で同じ大学に通う友人Yなのであった。年賀状だけのやり取りが続き、入塾の手続きの日に再会するのはまた別の話。

こんな感じで、ちょっとの勇気と偶然の積み重ねが私の人生をつくっている。たとえばこの間は、10年以上交流を続けているインターネットの友人と新宿で飲んだし(でも私は軽い熱中症で死体になっていた、近々リベンジしたい…)、今度は中3のときに海外で意を決して話しかけた日本人の人とも東京で飲む約束をしている。

 

どこにいても、自分の知らない世界を知っている人と繋がり続けたいし、自分の外の世界と繋がっている実感を失わずに居つづけたい。でもそれって、とても難しいことだと思う。田舎者である、というのはその難易度をより一層高くする条件ではないかとも思う。場所が不便という物理的な問題以上に、心理的な障壁がずっとずっと大きな問題なのだ。身内に田舎思考があまりないとはいえ、田舎で育った以上私は簡単に田舎者に揺り戻るだろう。コンサートや展覧会が、身近で簡単に手に届くものだという認識を得るのにも、4年くらいかかったわけだしね。

田舎者にも適性ってもんがあると思う。私には全くない。目まぐるしい早さの街に住んで思考を溶かさないと、多分我に返ってしまって死ぬ。自省してはいけない。私の「個性」に、身近な人以外は誰も関心をもたない環境にいたほうがたぶんいい。田舎に戻った友人たちが、ゆったりとした時間の流れのなかで、どんどん世界や思考を拡げ、充実している様子を見るたびに、私にはそんな才能がないということを否応なしに実感させられた。「個性的」が「異端」として処理されることになり、気づけばこの10年くらいの足掻きを無に帰すことになるだろう。

 


私は田舎者であってはいけない。でも残念なことに、都会人には一生なれない。大統領になれないのと同じだな!ははっ!

つまり、「おのぼりさん」のいち会社員として、都会で足掻く人間として生きてみようかなと思っているということだ。この選択に至った要因の一つとして、自分の「個性」を好きになることはまだ難しいということがわかってしまったということがあげられる。これが、今年の2月まで長いこと引きこもってみたり、はたまた春からJGC修行とかいうアホみたいなことをしてみたりして到達した境地である。

私は東京で働きたい。大阪か京都かSDJかのどこかに住みたいなとはかねてからずっと思っていたけど。てかむしろつい3ヶ月前くらいまで、首都圏だけには住みたくないと思っていた。でも私は東京に行きたい。ひょんなきっかけから東京に慣れてしまった結果、田舎者特有の拒絶感みたいなのが払拭されてしまった模様。あれ、梅田とあんまり変わらないじゃん、郊外に住めば落ち着いてるじゃん、という素朴な感想を抱いた結果である。まあそれだけではないけども、言語化するまでもない要因なので、口はミッフィーで。

 


ちなみに昨日のフライトで、無事クリスタルに到達した。サファイアもこの感じだと無理なく達成できそう。自宅や実家などの拠点が、すべて空港アクセス1時間以上なのがちょいと腹立たしい。おそらく修行についてのブログを書いたら、ある程度アクセス数が稼げそうなもんだけど、身バレが怖いからやめておく。全部終わってから振り返り記事をあげるのはナシではないかなってとこ。

このダラダラした長文も、E170かE190でのフライトの時間に少しずつ書き溜めていたものである。ネットがあるところでは、もっぱら求職活動に勤しむしかないからね。

とにかくこの数ヶ月のことは、多分人生のなかで大きな意味を持ちつづけるだろうし、ずっと忘れられないんだろうな。飛行機に乗りまくり、オタ活を心ゆくまでして、遠方の友人を訪ねまくる、そしてその隙間に研究と就活をテトリスのようにぶち込む毎日。こんな生活は、多分もう一生できない。きっとあの時は良かったとか言い出すんだろうな。それを未然に防ぐために、研究と就活のプレッシャーのせいでそこまで常に楽しいわけでもないということは、記録に残しておこうと思う。天神で歩きスマホでESを書いたり、札幌の寿司屋で企業オンライン座談会を聞いていたり……でも正直、そんな私のことが結構好きになりつつある。