見知らぬお年寄りが、泣いた
私はお年寄りや外国の方に話しかけられやすかった。過去形。
浪人時代、アーケードを突っ切って通学していたのだが、2日に1度は捕まった。
たまに乗り物に乗れば、隣の席の人と親しくなった。高校時代、ワープロ部の大会にいく前日に、絶対新幹線の隣席と仲良くなるべ、と某恩師に言われた記憶もある。
京都に来てからそういったことがほとんどない。頻度が激減している。
私は先ほど、二条駅ビルの寿司屋にサービスランチ760円を食べに行った。
久しぶりにスキルを発動。
95歳のカウンター隣席のおじいさんは、おもむろに半生をポツポツと語りはじめた。
スキル発動の要因は、すっぴんだったからではないか、と思った。
しかしよくよく考えてみると、私は化粧はうまくもないし濃くもない。違いは、私の心もちにしかないのかもしれない。ただでさえない自信がよりいっそうなくなるから。
私は毎朝(というと盛っている、まず起床時間という観点から)自信をゼロ地点にもっていこうと試みている。つまり化粧のモチベというのが、自分の嫌いな部分を誤魔化すことにある。
今日は久々に話しかけられた、ということはもしかして、このどうしようもなく腫れぼったいまぶたと毛虫のような眉毛が「隙」となって、話しかけやすさ、親しみやすさを演出していたのか?つまり、私の化粧は上達したということなのか~??
それはさておき。
おじいさんはポツポツと話したあと、「こんなじいさんが話しかけてごめんなさい、孫と同じくらいの年頃で」と焦っていた。なんか無性に、胸がぎゅっとなった。
その微妙な空気を打ち消すかのごとく、カウンターの若い職人(たぶん私と同世代)が、おじいさんに対して「お嬢さんをナンパですかー?困らせちゃダメっすよ~」と笑い飛ばした。
するとおじいさんが泣いた。「死んだ嫁しか、知らないんだ」と。
どうしていいのかわからなかった。甘いはずのたまごがしょっぱかった。
ものすごい勢いで赤だしを飲み干して、「今日はお話しできて光栄でした。どうかお元気で」と言い残すことしかできなかった。
もっとちゃんと相づちが打てたんじゃないかな、もっとうまく話を引き出せたんじゃないかなと、次から次へと後悔が押し寄せてくる。
そして、私の口のなかにほのかに残る魚臭さが、先程の記憶が嘘ではなかったことを物語っている。
おじいさん、どうかお元気で。
綾鷹を飲み干して生臭さを消すことで、込み上げてくる涙を引っ込めることしかできない。