考え事をしない
労働は人を殺す。
2月の中旬ごろから、大学周辺の家探しのバイトのシフトにめちゃくちゃ入っている。新入生や保護者とお話ししながら、条件に合ったお部屋をご提案するのは、重い責任を感じつつもそれなりに楽しい。
はずだった。
私は不本意で現在の大学に入学したので、3年前のこの時期には絶望しかなかった。でも、出会った人たちがそれなりに希望をくれた気がする。だからこそ、掛ける言葉は慎重になる。あまりに落ち込んでいる家族、こちらに敵意を向けることでしかバランスのとれない家族の前で、自分の無力を痛感することしかできないけれど、それでも場を繋がなければいけない。先日、長年ドライバーをしているベテランのおばちゃんが、裏で泣いているのを見てしまった。
しかしそれがめちゃくちゃキツいわけではない。もちろん、心があるので多少は傷つくけども。
事務仕事。
こいつは敵だ。私はあと10年遅く生まれていたら、確実に何らかの病名が与えられていたと思われるほどの、注意力のなさ、短期記憶のなさ、集中力のなさ。ちなみに大学の授業で知能検査をしたら、かなり偏りがヤバかった。
初歩的なミスがひどい。効率が悪いために、手順がひどい。無駄な動きが多い。手順もいくつか忘れる。何をしようとしたか覚えていない。ひたすら謝罪をする。それの繰り返しだ。自分なりに全身全霊で挑んでいるものの、少しでも油断をするとあり得ないミスをする。ほんと、まじでありえないレベルの。絶対そこらへんの小学生の方が賢い。
ミスを繰り返すたびに、どんどん周りからの信頼がなくなっていくのがいたいほどわかる。私を見ているときの目が笑っていない。他の人たちが談笑しているときに、あからさまに私をあしらう空気を感じてしまうときもある。まぁ、当たり前だ。
私のふるまいにも原因がある気がする。もっとふわふわ系、もしくは人に甘えるのが上手なタイプだったら良かったのかもしれない。なにせ、私は自分の性質を自覚するまで「バリキャリ」を目指していたほどだ。そのキビキビして「そう」、しっかりして「そう」な雰囲気からしたらありえないミスをするため、ふざけているとか、やる気がないとかとみなされてしまうのかもしれない。
私も誰かに信頼される人間になりたかった。
苦手な早起きで、自律神経をめちゃくちゃにしながら、毎日すみませんすみませんと繰り返す毎日。そりゃあ思考もだんだん停止してくる。
……ねえ、就職したら毎日これなの?期間限定じゃないんだもんね。怖い。
そんなこんなで考え事をあまりしなくなった。ただただ、作業として日常をやりすごすだけ。考えたら悲しくなることばかりだし。
原因はそれだけじゃない。
サークルに行くには3km以上自転車をこがなければならないので、否応なしに考え事が捗っていた。引退したのでその機会が激減。
家でもひとりで過ごしてはいても、本、スマホ、食べ物、なにかしらの誘惑があるので、心の奥底の感性は働かない。範囲が決められたなかでの、感想である。なおここでの感性とは哲学的な「感性」ではない。
これからしばらくバイトのシフトが入っていないし、今日はバイトで得た軍資金を片手に京都駅に出掛けている。久しぶりに自転車をガーッと飛ばして、考える意欲が湧き出てきたので、とりあえずブログを書き綴ってみた。
推敲なしです。このままあげちゃおっと。ナマモノナマモノ。
多分帰宅したら修正すると思う。これは修正前ですよ、良かったね私のファン