書いても消しちゃう夢
最近、ブログから遠ざかっている。ごく稀に深夜テンションでせっかく書いても、明け方のまどろみのなかで削除してしまう。ちなみに、このブログを執筆しはじめたのも午前3時過ぎである。よって高確率で非表示になると思う。でも、今の自分に「刺さる」内容をかけたらワンチャン消さないかもしれない。そして、消さないかもという予感はある。
ただしそもそも、ここ1ヶ月ほどはアホなんじゃないかというほど何も考えずにぱっぱらぱーな生活をおくっている。だから、ブログを書こうという発想にもならない。浮かんだもやもやは、頭の隅っこにとりあえずひょっと寄せておく。どうせすぐ思考の中心に戻ってくるけど、そのときはまた隅っこにふわっと寄せればいい。
そんなこんなで、まったく頭を働かせない日々を過ごすなか、1年ぶりくらいに会った友人と飲みにいった。彼女は非常に聡明だ。彼女の的確な言葉に触れていくうちに少し脳みそも動きはじめ、考え事が捗るようになってきた。私は単純だ。
私を含む愚かな人間は、報酬を得るためにとった行動からなるべく利益を多く手に入れたい、と思ってしまいがちだ。選択肢を広げるため&自由になるためにとった行動が、かえって自分の世界を狭くしてしまうことはよくあることなのだろう。
説明がわかりにくいな。せっかくaという目標を達成したのだから、aができる人にしか手に入れられないものを手に入れたいというという発想のことをさしているつもり。
個人の視野には、ある種の有限性があるからこそ、壊れない世界があるのかもしれない。だからとても扱いにくいけど、しかし何も考えずにぐちゃぐちゃにしていいものではないとも感じる。ものごとの解決を図ろうとするときに、いまの状況をひっくり返したり、原因となっていそうな物事を排除したりしようとしがちだけど、実際はそんなに単純なもんでもないと思う。なにがどう絡まってるかわからないのだから。シンプルだったら、もっと私、そしてこんなしょうもない文を読んでいる画面の向こうのあなたももっと「合理的」なはずだ。
大して更新していない期間も、このブログにぽつぽつとアクセスがあるという事実が、人間の複雑怪奇さを物語っている。
私はどこかでは破天荒さをもちながらも、本質や根幹はかなりの安定志向だ。だから、いつだって夢は夢のままで終わってしまう。自信のなさゆえだろう。
いまもまた同じことを繰り返そうとしている。楽器を買いたかったこと、ものごとの理が知りたかったこと、ピアノの調律師になりたかったこと…そうした気持ちに嘘はなかったけれど、それはすでに思い出になっているのだ。
私は安定の奴隷だ。