vbnm1005の日記

恥をかき集めた

おひさ☆

久しぶりになってしまった。それなりの頻度で、突然衝動的に自分の内面にあるものを吐き出したくなってしまうので、案外続いていたはずなんだけど……。

 

私は、芸術・スポーツ、なにをとってもからしきだめなので、自己表現ができないし、なにかに自分の思いをのせることはあまりない。だからこそ、こうしてわりと直接的な文章でストレスを発散するほかないのだ。

ここ数年は急に精神年齢が増してきたせいか(自分で言っちゃう?まあでも私は中高時代恐ろしいほど幼かった)、さしつかえのない範囲で、ということをかなり意識するようになった。言う情報は考えているけど、嘘はついていないというギリギリをさぐっていく感じ。計算高い感じがするのも気持ち悪いし、適度に奔放さも残しておかなきゃいけないな、なんてとこまでも考えている。もちろん、そんな自分が気持ち悪くて仕方ない。

自分に自信がないし、そもそも自分を許してくれる人ってそう少ないから、器用にごまかさないと生きていけないと思う。

世の中がこうなるまで、摩耗させながらも自分の狂気と戦ってきた。

 

それをやめた、というと聞こえがいいけど、私は逃げているだけなんだと思う。

私の周囲にいる人は、みんなどこかに個性があって魅力的。それに対して、私の非凡な部分は欠点でしかなくて、大事なところはなんでも中の下。欠点を面白がってくれたり、尊重してくれたりする周りのやさしさすらイタく感じてしまう。中の下を中の中にする努力をしているうちに、多くの人の背中が遠のいていく。

 

我ながら卑屈だ。卑屈になるのはだめだとわかっている。だから頑張ってポジティブになろうと努力している。つもり。でも結局それは本質的に前向きになっているわけではなく、自分の考え方を蔑む行為でしかなくて、よりいっそう卑屈になってしまう。

今の私が自分を守るためにできることといったら、何も考えないようにすることしかないのだ。食べたいものをなるべく食べて、自分の欲求にはなるべく素直に生き、ストレスを与えない。そうして満たすことによって、自分の思考を止めることが大事だ。心が動かされそうな創作物を徹底的に避けて、ぼーっと予定調和なYouTubeを見ている「非生産的」な時間を過ごし、どうしようもない人間を生み出している。

 

 

面白いね、と言ってもらえることはあるけど、それは求められていることにあまりに逸しているため、その逸脱を面白さとして認識される、つまり「ピエロ」になるという道を選んだときだけだ。私の内面はちっとも面白くない。どうしたら見捨てられないか、どうしたら自分が存在していてもいいのか、それをひたすら考えつづけているだけなのだ。

 

「中の中」になることを目標にし、あまり向いていないことを頑張りながら、自分がはみ出してしまっている部分を頑張って削らなければいけない。

私はこつこつ頑張る才能がない、と思う。短期でガッとごまかすことなら得意だけど。だから、頑張っていない自分はだめだなあと思いながら、1年のうち363日くらいは生きている。

いつになったら頑張らなくてもいい世界線にいけるのか。ああ、「大人として」頑張らないと生きていかれないのかね。怖いな。

おぼえが悪い、不器用、そうした欠点をガッツで乗り越えるのはなかなかに難しい。難しい、なんてつべこべ言っていないで、こうしている間も努力をしなければならないのだろうけど、それができないから人間なんだよね。

 

卑屈で面白味のない人としゃべるのはつまらないと思う。そう考えると、私は相手に不快感を少なからず与えているはずだ。

だから誰とも話したくなくなるし、誰かと話したあとは必ずたくさんの後悔がうずまいて布団で枕を濡らす。だれとも話していない日にも、ありとあらゆる後悔や不安がうずまいてとにかく眠れなくなる。そうして朝がやってきて明るさに安心してから寝る。勉強が全くすすまない。

 

そこそこ楽しいブログにしようとしたのに、こんなことしかかけないのは本当に情けない。将来への不安がある時期だから仕方ないと思うことにするしかないね。

卑屈さ全開で、読んで不快にしかならないであろう文章をどうしてブログにあげてしまったのか。それは助けてほしいからです。どこまでも自分勝手だ。私はひとに弱みをみせるのが嫌いだし、元来頼りたくない。でも、文章をしたためてしまった。これは一種の生存本能なのであろう。

だからといって救いの手を差し伸べられたとしても、困惑しかしない。むしろ踏み込まれたくない。これは淘汰されるべきなのか。