vbnm1005の日記

恥をかき集めた

頭が悪いとはなにか

 私は、地頭がよくない。しかし、自分の頭の悪さをしっかり自覚できてしまえるほどには頭が良い、ということに対しては言いようのない自信をおぼえてしまっている。たちが悪い馬鹿だ。

 

  努力を求められない段階、小学校の勉強は、得意だとも苦手だとも思わなかった。でも、ノートをとる、集中する、宿題の内容をメモするなど、「あたりまえ」のことはありえないほどできない。なぜかわからないけれど、できない。とにかく、できない。その結果、中学1年生の終わりくらいから勉強が得意ではないという自己認識をもつはめになった。宿題は高2の冬休みにやっと徹夜でどうにか期日中にやりきった以外、「やったけど家に忘れてくる」ことしかできなかった(ちなみにこの成功体験のおかげで今があるけどそれはまた別の話)。

 計画的に、こつこつと物事を積み重ねることができない。マラソンを走りきることができない代わりに、8400回全力で50メートル走ってきた。10年遅く生まれていたら間違いなく「発達障害児」として扱われていただろう。

 

 最近は、ラインの「リマインくん」を駆使してどうにかしている。令和に大学生をやれていてよかった。おかげさまで、じゅうぶんに復習をした場合のエビングハウス忘却曲線をたどるかのごとく、私の脆弱な脳みそにタスクを植え付けている。たとえばエアコンのリモコンの電池を買いにいくためだけに、「リマインくん」は5回ほどお知らせをくれる。このように工夫しても、打率は調子がよくて8割、まあ6割ほどだ。

 自分が真剣に生きた結果起こったミスは、面白おかしくしゃべり散らかしたり、ツイッターでネタツイとして昇華したりことでごまかしてきた。あまりよくないことなのかもしれないけれど、ファボの数が私の自信となった。これからもどうか私を笑ってほしい。駅の階段でこけたとき、隣で笑ってくれる友達がいたらそんなに悲しくならないことからもわかると思う。…ってそもそもみんなは駅の階段でこけたりしないの?

 そんなこんなで、この手のたぐいの頭の悪さには慣れたし、他人に嫉妬もしなくなった。22年間積み重ねてきたミスを糧にして、工夫して生きていけば最低限なんとかなる。それに、連絡帳に明日の宿題をメモできる人間として生きたことがないし、想像もつかないのでまあいいのだ。190センチのバスケットボール選手に嫉妬しないのと同じ原理である。

  

 しかし、単純に「理解ができない」という意味での頭の悪さはうけいれたくもないし、納得できない。それは知的好奇心というかたちで無邪気な側面ももつ一方で、ふつふつと沸きたつ嫉妬のマグマともなる。

 ただ、繰り返し述べている通り、私は地頭が悪いのである。その落ち着きのなさゆえか、頭の回転がはやいと勘違いされることが往々にしてあるのだが、基本的にトロい。飲み込みが悪い。やっと状況を理解できたとしても、なにかを習得するときの最初のほうにあるステップである「真似る」でも必ず躓くのだ。

 まなぶはまねるが語源で云々――、というのは教育学の教科書をみていれば腐るほど見るし、実際そう思う。まずは真似をすることで体にたたきこみ、自分のものにしていくというのが、なにかを習得するときのオーソドックスな道筋だ。

 しかも悲しいことに、その段階をすっ飛ばせるほど頭のいい人もいる。大学に入ってから知った。本来ならば「まねる」ことによって抽出できる情報を、ほとんど「まねる」ことなく瞬時に察し、無意識に習得する人がいるのだ。サークルの同期にもそういう人がいる。一生勝てない。

 私は、真似の段階で躓く。だから、どうやって真似できるかを考えなければならない。どうしてそれがそうなるのか、なにがもとになっているのか、理詰めで考え、頭のなかに体系を作り上げる。つまりある種の攻略本を手に入れてからでないと、スタート地点にもたてないのだ。こうして文字起こしをしてしまうと、より一層自分の頭の悪さを認識させられて悲しくなってくる。簡潔ではない文章が、よりその虚しさを引き立てているように感じられる。ああ、だったらブログ書くなよ、うーーーん頭悪いなあ。

 さらに、攻略本を手にいれるためには「こつこつ」努力をする必要がある、ということに大きな問題がある。前述のとおり、私はマラソンを走りきることができない代わりに、8400回全力で50メートル走る、という人生を送ってきたのだ。攻略本が誰よりも必要なのに、誰よりも手に入らないのである!!シラソーソソーラシー、なんということでしょう!!匠の技でなんとかしてほしい。

 人より苦労することにはなるものの、こつこつ努力をしたらきっとどうにかできるということは知っている。だからこそ、罪悪感に押しつぶされそうになる。ついに先日自分が許せなくなり、体調を崩した。こんなこといって強がっているくせに、時間があるのにどうして頑張れないんだろう、どうして変われないんだろうと、ひたすら無意識のなかで自分を責めていた。インドア派なので、この生活をのんきに楽しく過ごしているはずだったのに、自分のなかに眠る向上心が糾弾してくるのである。うーん、向上心、ではないな。せめて「人並み」にならなければいけないという強迫観念だ。

  

 こんなに自己分析できているのだから()、向いているなにかを見つけ出そうとしたり、自分の長所を伸ばそうとしたりしたほうが、きっと楽になれるというのはわかっている。それでもやはり、得意を伸ばすこと以上に、苦手をうめることに魅力を感じてしまう。自己肯定感が低い劣等生は、目立たない凡人になりたくて仕方ないのだ。

   

 テトリスの名手の動画がTLに流れてきた結果、えげつない嫉妬に襲われたため、衝動的にブログを綴ってみた。卒論の構想は白紙のくせに。やるべきことをせずに、どうでもいいことに時間を使い続けてきたから頭が悪いんだよ。ばーか。

 

 ちなみに私は、テトリスがドヘタだったが、いまは人並みくらい。小学生のときDSで通信をしたら、圧倒的に下手だった。悔しさのあまり、ネットで攻略サイトを調べてから人一倍練習した。頭が悪いながらも、このブログに綴ったとおりの手順を踏んで奮闘したのである。努力の甲斐あってか、水色のIのミノを使って4列消しを継続してできるようになったころには、みんなはスーパーマリオブラザーズに熱中していた。ちなみにマリオは挫折した。いまだに最初のクリボーに殺められる。

 大学生になり、友人の家のスイッチでテトリスをした際に、「下手ではない」ということは証明できて、10年越しに報われた、…はずだったのに、そこにいたのは地頭が極めていい人たち。彼らはあっさりとTスピンを身につけ、爆速で太刀打ちできなくなった。

 

ちくしょーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(CV.コウメ太夫)