vbnm1005の日記

恥をかき集めた

ポジティブでいられない強さ

普段から「余計なこと」ばかり考えているというのは、こんなときに強いみたい。マイナス思考万歳。どんな些細なことに対しても、ありとあらゆるリスクや悲観的な結末を想定してはどんよりしがちなので、そういう「辛さ」に対する「慣れ」がしらすしらずのうちに訓練されてきたのかもしれない。もちろん、辛くないわけではない。


この騒ぎ以前はなんだかんだで気持ち的に忙しい日々を送ってきたから、時間の「無駄」に妙な罪悪感をおぼえていた。こんなふうになってしまったいまこそ「無駄」を溺れるように愛してしまえー!ってことで、 約2週間、ひたすら寝て、スマホをいじり続けてきた。最初の1,2日以外は、物事を真剣に考えるのもやめた。小学生のときの生活みたいだなあと思った。

中高浪人、そしてとくに大学生になってからは欲望に負けまくった生活を送ってきたとはいえ、いつだって心の奥底には禁欲的でなければいけないという強迫観念があった。でも、欲望に素直に流されてみるのもたまにはいい。

でも結局、「無駄」で「生産性のない生活」に飽きてきた。 小さい頃、体に悪いからと少ししか食べさせてもらえなかったカップラーメンを、一人暮らしをはじめてからの最初の1年、むさぼるように食べまくっていたけど、それに結局飽きたのと同じ原理かもしれない。


いまの私の支えは、生身の体験への記憶だと思う。

12月まではたくさんの楽器や団員に囲まれていた。1月から2月にかけてはいろんな人に会って、遊んだ。そしてコンサートにも行き、生音に触れた。町屋カフェで聞いた、不思議なバンドもよかった。不思議なことに、春休み前半はひたすら「場」を共有する経験をいつも以上にしていた。

その経験によって、「三密」が禁じられている今でも生きていられる。大学の友達やら旧友やらと電話をしているときに、ちゃんと経験を思い出せる。腕を組んだこと、鍋をつついたこと、…、実感を呼び戻せるから狂わずにすんでいる。

だからこそ、もとの世界に戻りたいという強い気持ちも抱くんだけどね。本当に戻れるのかな。