vbnm1005の日記

恥をかき集めた

日常と思い出と過去と

学生生活が過去になるのが、いまから怖い。いつまでもあの頃はよかったっていい続ける大人になりたくない、という気持ちもある。

こういうブログ、大人になった私から見たら冷笑の対象になるのかもしれない。でも、なんだか無性に書き留めておきたくなったので、綴ってみようと思う。すでに、引退した所感が恥ずかしくなっているけど。

 

昨日までの3日間、先日卒団したサークルの追いコンだった。送り出される対象は、卒団から1年たった4回生の先輩方。

先輩方が3年間でやった曲を、最初の2日は練習日と称して確認して、最終日に時系列順にみんなで通すというイベント。こんなご時世なので開催が危ぶまれたけど、曲数減や、換気や消毒液の配置などの工夫で、どうにか開催してくださった。もちろん、こういうご時世だからこられなかった方も多かったんじゃないかなとは思う。それでも、思い出を昇華できる場があった、ということはとても有り難いことでした。

これを機に二度と会えなくなってしまう先輩もいたんだろう。現役のときにもっと話しておくんだったな、という後悔も少なからずある。後悔先に立たず。

 

1日目は、ほとんど楽器の音がでなかったので、リハビリに気持ちがとられた。終盤になって、ちょっとずつ楽器が鳴ってくるのを感じて楽しくなったけど、周りを見る余裕はなかった。

練習が終わったあとは、オーボエの後輩と同期とからふね屋にいった。後輩が抹茶、同期がチョコバナナ、私がイチゴ。からあげパフェかロースカツパフェ以外を食べたのははじめてだった。私がこの団に入団する前の新歓できたときも、からあげパフェだった。そしてなんか名残惜しくて、京亀でもつ鍋を堪能した。馬刺も食べた。〆は麺にした。それでもなんか名残惜しくて、デルタで缶チューハイをすすった。デルタには上裸で酔っぱらってる人もいたし、アカペラを歌っている人もいた。それはあくまで自分達を盛り上げてくれる背景にすぎない。静かな世界のなかでほろ酔いになった。この3人は12月の定演のメインステージ、3部のオーボエのメンバーだ。

ああ、「日常」だなぁって感じた。あまり久々だとは思わなかった。でも帰り際、後輩は「なんかあのときに戻ったみたいですね~懐かしい!」と言った。私は、卒団してからいろんな感情には襲われたとはいえ、現役の頃ほど目まぐるしい時間を過ごしてはいない。時の流れが曖昧になっていたのだろうか。確かによく考えてみると、私たちが卒団したとき、まだワニは誕生していなかった。100日、か。なんか重く感じた。

去年、私も同じことを先輩に言ったんだよね。そのとき、先輩たちがキョトンとしていたのを思い出した。

 

2日目は、1個上のパーリーの先輩と、同期とで合奏に参加した。私たちが入団する前の曲の合奏も多かった。頑張って譜読みしながら、そして変なタイミングで飛び出してしまうのに笑いながら、緩い時間を過ごした。

楽器と離れてから時間もたっている人も多いから、きっと演奏会を開いていたときよりはクオリティーとしてははるかに低いのかもしれない。でも、その当時やりこんでいた記憶を手繰り寄せながら、生き生きした顔で吹く4回生の先輩たちの姿を見て、いいようのない気持ちに襲われた。

1曲だけ、私にとって思い出深い曲の合奏があった。1回生の定演でやった曲。当時3回生のパーリーの先輩が1stで、私が2nd、そしてファゴットの3回生の先輩も乗っていた。今回追いコンにいるのは、基本的に1個上の代以下なので、そのふたりの先輩はいない。さみしかった(来年もこの気持ちは味わいたくないので、去年卒団の院生の先輩に、来年来てくださいって頼んだ)。

そのため自然と、他の楽器の当時のメンバーに注目していた。あのときよりもちょっと深いうたいかたをする人もいることに気づき、余計に寂しくなった。

この曲を練習していた時期はまだまだ私も幼くて(いまもだけど)、いろんなことから逃げ出したくなっていた時期なんだけど、先輩たちへの憧れ、他愛もないおしゃべりが私の居場所を作ってくれたなぁ、って思い出した。あのとき、卒団する頃には先輩のようになるぞ!って決意したはずなのに、先輩のソロは吹ききれなかったし、後輩たちの居場所をつくることができたような気はしないし……と思った瞬間に、頑張れなかった自分を認識してしまって、泣きそうになった。その間いろんなことがあったとはいえ、あのときの気持ちを忘れずにさえいられたら、もっと頑張れていたのかなって思った。反実仮想っていちばん悔しいし、虚しい。あの時期があったからこそ、私は卒団まで続けられたというのは、動かしようのない事実ではあるんだけど、ね。

そのあと、パーリーの先輩とフルートの同期と、ピザを囲みながらちょっとだけお酒を飲んで気分がよくなり、2つ上の代の先輩ふたりにそれぞれ電話を掛けてしまった。社会人なのにサムい学生のりに付き合ってくれた優しさに感謝しかない。私たちが卒団する定演本番に気にかけてくださったり、きてくださったりしたの、めっちゃ嬉しかったな。

その次に、2つ下の初心者の後輩に電話を掛けた。その先輩たちとこの後輩には直接関わりはないはずなのに、私たちを媒体に繋がってるんだな~って気持ち悪いことを考えてしまった。その空気を無性に繋ぎたくなってしまって、いまの4回生とは代が被っていないし、知ってる曲もないはずの後輩だというのに、結構強く追いコンにくるように誘ってしまった。

私はほろ酔いになると、無性に人に電話を掛けたくなってしまうのです、なんて迷惑なタイプなんだ。

 

追いコン本番。自分が入団したタイミングから参加した。同期も同じことを考えていた模様で、ともに2017年のサマコンの曲から参加した。

メンバーは、3,4回生のオーボエの全員。といっても4人なんだけど。この4人で乗り番を分けあってきていたので、誰も乗っていなかった曲はなかった。なので、当時のように分けあいながら吹いた。

特に打ち合わせをしていなくても、ここのハモりほしい!ってとこではめっちゃくるし、記憶と同じようにフレーズが紡がれていく。追いコンにこられなかった指揮者の先輩の代振り曲では、テンポを記憶の方に引っ張る勢いだったように思う。客観的にきいたら、4人ともブランクはあったし、リードの状態もよくなかったせいか、音程も音色もアタックもめちゃくちゃだったとは思う。でも、記憶が補正してくれるのでそんなの関係ない、オッパッピー。だってこれは、究極の自己満足の会だから。

だんだん夢中になってきて、過去の日常に入り込んだかのような錯覚をおぼえながらも、途中から駆けつけてくれた2つ下の後輩が譜面を追いかける姿を見ると、なんだかよくわからなくなる。自分が過ごしてきた3年間がすべて繋がっていることを実感する。え?じゃあ過去なの?

純粋に楽しくて、演奏自体のことはあんまり覚えていない。まったく音がでなくなるレベルのスランプだった頃の曲が、スラスラふけてしまったのにちょっと驚いたくらいかな。

最後の定番のアンコール曲、トロンボーンがイキる箇所でそちらのほうを見つめるクセは抜けてなかったことに無性に安心した。ああ、それをもうステージで現役としてやることはないんだな~と認識した瞬間に、引退が腑に落ちた。

そういえば、先輩たちの丁寧な譜面の書き込みをみて驚いた。ふだんそんなところは全く見せないから、才能とセンス、器用さでこなしている先輩たちだと勝手に思っていた。でも、想像以上に真摯に向き合っていたことを知って、よりいっそう尊敬の念が増した。そして、その書き込みの内容を体が無意識に覚えておられることも、真横で感じた。やっぱりなんだかんだパートの4人の先輩たちはいつまでも憧れだな。皆どこか狂ってるけど、そんなところも含めた、先輩たちへのリスペクトが私の吹奏楽生活の支えだったんだよ! 同じことしかいってないけど事実だもん! ……私はこんな先輩、ではなかった。悲しいけど。

それから、合奏のなかに身をおくことで、その曲を練習していた頃の出来事や、フレーズにまつわる思い出などが浮かんできた。音源を聴いても個人で吹いても思い出せなかったことなのに、次から次へと溢れてきた。追いコン終了後、オーボエのメンバーで飲みながら、合奏中に思い出したことを共有できたのは、本当に尊い思い出だ。仰々しい言い方をしたけど、思い出は小さなこと、しょうもないことでしかない。でも、全部キラキラしているように感じられた。これこそまさに、エモい。

本番の日、他のパートと掛け合いのソロを担当していた先輩が、楽しみにしていた唐揚げ弁当を頬張ろうとした瞬間に、その部分の合わせに誘われて発狂し、戻ってきてから意味わからないくらい爆速で全部食べていたこと。休日の練習の合間に、先輩が杏仁豆腐と牛乳寒天を買ってきたのを、他の先輩がだいたい同じじゃん~と笑い飛ばしたこと。フルートの友達と主旋律の追っかけのソロがあったのに、その当時軽く仲違いしていたので、私は目を合わせずに吹いたこと(昨日はバッチリ目があった)。先輩が成人した瞬間を皆で迎えたこと。……などなど。

その場で共有しきれなかったことももちろんたくさんある。たった数時間の会話で全部片付けられてたまるもんか。なーんてね。

ときには古い写真を見返しながらキラキラした思い出に手を伸ばし、お酒を飲んで爆笑したことは、その内容を忘れたとしても一生忘れないと思う。忘れたくない。

私は、先輩としてはろくすっぽ なーーーんにもできなかった。だからこそ、せめてもの罪滅ぼしとして、自分がいちばん上の間はお酒をたくさん飲まないことを決めていた。

昨日は後輩として振る舞える久しぶりの時間、思う存分安心してネジぶっとばしまくって、あんまり覚えてないけどめっちゃ楽しかったのはなんとなく覚えてる、という最高の終わりを遂げた。

気づいたときには、フルートの友人の家のベットで寝ていた。そこではオーボエの先輩や同期、後輩がボードゲームをしていて、ああ、これが私の学生生活だなって、いまがとてもいとおしくなって、じわっと幸せな気持ちになった。

 

私は、3年間勉強を頑張れなかったし、就活もしていないし、ちょっと心身のバランスを崩してしまった時期もあったしで、なにもない空っぽな大学生活を過ごしてきたと思っていた。だからこそこの幸せに気づけたことが、とっても嬉しかった。

 

こんだけ今年の追いコンに満足してしまったので、来年はいったいどうなるんだ……。きっともっと吹けなくなってるだろうけど、身体は覚えているとは思う。その不思議な体験、もう一度できるなんて本当にわくわく。

皆と、せめて学生のうちだけでも疎遠にならないといいな。