vbnm1005の日記

恥をかき集めた

今年のというか10年のふりかえり

私は、かなしいくらいにバランス感覚のない人間なんだなと、叩きつける冷たい風に苛立ちを覚えながら、ぼんやりと考えた。考えてみたらここ10年、吹奏楽オーボエに思考がもっていかれていた。それはもちろん負の感情も含む。

いつから楽器を吹くことが純粋に楽しめなくなったのか、それはよくわからない。少なくとも、オーボエ大好き、楽器大好きって淀みなく言えていた私はもういない。

私は、後悔や未練を胸に、大学でも再び楽器を吹きはじめた。なぜかたくさんソロをもらってしまった最初のサマコン、久しぶりにすごく楽しかった。楽器が再び好きになれるチャンスかもって思った。団の開放的な空気のなかで、個性のない私に色がつく演奏ができるようになるに違いないとワクワクしていたなぁ。
でも、現実は無情。だんだんと音が出なくなった。どれだけ吹いても鳴らない。楽器が反応しないわりには音色も開くので、めちゃくちゃ重いリードを使うようになった。ロングトーンを8拍伸ばすのが怪しいレベルで、抵抗の強いリードを使っていた。まぁ、2回のサマコンまではどうにかごまかせていた。自分の下手な音を聴かれるのが怖かった。こんなんじゃないんだよ……って思いながらも、どうすることもできずに、身のおきどころのなさを感じていた。
2回の定演の練習をする頃には完全に音が出なくなって、アンブシュアをシカトして力業で出していた。自分の音が全体のサウンドをぶっ壊している自覚もあったけど、おりる勇気もなかった。あのとき逃げる勇気があったなら、こんなに罪悪感をおぼえずにすんだのかもしれない。
チューニングのB♭すらでないんだから、練習してもどうせ無駄、と開き直るようにもなっていった。潮時かな、辞めよう、という言葉がBOXにいくたびに浮かんだ。
でも、2回の定演の前々日に行った保育園の依頼演奏でかなり価値観が変わった。オーボエトリオでいくつもりだったんだけど、先輩と私のリズム感のなさはどうしようもなく、直前に打楽器の同期に依頼して、同行してもらった、4重奏。楽しかった。とにかく楽しかった。子供たちが私たちの演奏に反応して、跳び跳ねていた。ピリッとはりつめた、ホールのような怖さはそこにはない。さらに子供たちは打楽器の同期に群がる。保育士さんたちからはオーボエってこんな楽器なんですね!ってちやほやされる。そのときの感情の揺れを言語化することはできないのは、本当に残念。あ~あ、語彙力あったらなぁ。そこの保育園の給食が美味しかったことについてなら、すごく熱く語れるんだけど。

語彙力がないくせに、頑張って言語化しようとするのってわりと苦しいし、イタいし、アホらしいし、みっともない。どうせさ、私が自分自身の過去のアメブロを読んで、恥ずかしくて発狂しそうになったのと同様に、この文も「大学時代の私ってイタくてさ~なんか語ってるんだけど!やば!」って酒の肴にしてるんだろうというのもわかる。でもそうだとわかっていても、「意味」をもたせる行為って、そのあとその出来事も、意味も忘れてしまっても、自分のなかには生きていると思うんだ。読まれることを少なからず意識している文章は、少しはろ過されるからあとで解読できる可能性が高い。ちなみに、推敲はしていない。読み返したら赤面して全消し確定だから。助詞デタラメだよね~知ってる、これはお喋りなのよ。話し言葉なの。なんでこんなに言い訳してるんだか。きしょ。

 

そんなことはさておき。2月の京都の大学が集まってやる演奏会でオリ急のイングリソロに挑戦したのを契機に、3回生の1年をイングリッシュホルンに捧げた。オリ急の、当時の録音をいまきくとひどいな。あとになってひどいと思えるくらいには成長したってことで。
ざっくりふりかえるね。サマコンの1部の1曲目は、本番で頭が真っ白になって失敗した。その直前の失敗のお陰で、1部の2曲目は謎に吹っ切れた。オムニバスの3部の曲は練習不足で納得がいかないクオリティだった。

 

定演1部。有能な後輩ふたりにオーボエを任せ、私はイングリッシュホルンを吹いた。譜面の難易度は客観的に見るとそこまで高くなかった(ものの、私の技術的にはすごく難しかった)。オーボエはソロ楽器なのでパー練の数は少ないし、後輩たちは器用なのでいうほど教えたことがほとんどなかった。そして後輩たちの聡さに頼りきってしまった結果、プレッシャーを与えてしまったように思う。あげく、私自身が本番までに「完璧」に吹けるようにはならなかった。最低。でも本番は、吹けるようにならなかったからこそなるようになれという精神でそこそこ吹けてしまった。それも含めて最低。
3部は、実力を全く発揮できず終わった……といいたいところだけど、それが私の実力。通しの録音がひとつもないので、私の演奏の最大値は音源化されないまま終わったので虚無でしかないけどね。3部がうまくいったら、たぶん皆と一緒に清々しく泣けた。そして、最後まで吹ききれて良かったね……と喜んでくれた皆に対しても、そうやって周りに不安を与えさせてしまったことへの申し訳なさで死にそうだった。とにかくうまく吹けなくて悔しかった。もっとできた。絶対できた。悔しい。1週間くらいたって悔しすぎて泣いた。こんなことはじめてだった。どんだけ失敗しても「私、才能ないし~」って開き直ってたから。3人で頑張ったオーボエ、後ろから支えてくれるパイプオルガンのような同期のサックス、高い音に挑むホルン、誇り高きティンパニ、……あげたらきりがない、その場にいられたことはとっても幸せだった。

もっともっと私なんかよりもプレッシャーを感じるだろう譜面の人もたくさんいた。テンポキープや曲の進行を司るという意味で、パッと聞くとそこまで目立たなくとも、重要で怖い動きをたくさんしている人もいた。そんななかで、ソロがあるというだけで、目立つからみんなに労ってもらえたのは本当に申し訳なかった。それと、下手すぎてどうしようもない私に、同期の指揮者がすごく分かりやすく私にアドバイスとこつを伝授してくれた。そしてそれを実践しようとつとめるだけで、いろんな人がプラスの言葉をかけてくれた。すべてにおいて皆のおかげです。

 

10年かかわってきた楽器、12/7をもって一生縁を切る覚悟だった。なのにこの悔しさが私に未練を与えている。どうしたらいいですか。