vbnm1005の日記

恥をかき集めた

わからない世界が好き

私は、自分には理解できない世界があることを実感するのが好きだ。でも、すこしがんばればわかりそうなことに直面するのは苦手だ。自分の努力を求められる感じがするからだ。

だからむしろ、別世界の概念だな、この世界で生きるのは到底無理だな…と言いきれてしまうもののほうが好きである。たとえば英語以外の、文字すら判読できない外国語を聞き流すとかは最高だ。

逆に、体系立てて進めていけばいずれは理解できるんだろうけど、その道のりは遠そうだな…というものは苦手である。まあ、こういう感じで2外の単位を落としまくったのかもしれないけど……。

 

そんな私が最近聞き流しているのは、モールス信号だ。ちなみにモールス信号については全く詳しくない。少しでも知識を身につけてしまったら、意味がないからだ。

https://youtu.be/I3S8VZ1tvxw

私には意味がわからないけど、意味がある…。ロマンじゃないか!

https://youtu.be/2r9dymbr2M8

言語の壁を超えている…すごい…

モールス信号と戦争は、切ってきりはなせないものだ。そう考えると、なにこれ意味わかんない!って無邪気に喜んでいる私が存在しているということ自体が、恣意的に、あるいは恒常的に生命を脅かされる事態が過去のものになったということを象徴しているのかもしれない。だからこそ、新型コロナウイルスは結構怖いのかもね。

 

でも、気づいていなかったことに気づくのは楽しいね!!

https://youtu.be/Je9pu5Bj7TE

ゴールのやつとコード進行が同じであることに、まずは驚く。

コメント欄で、「昔のゲーム機は容量が少なかったから節約のために同一コードにした」というコメントをみかけたんだけど、それは本当なのかな。こういったときに、へーそうなんだ〜とその場で適当に納得しておいたほうがいい、とある人に言われたんだけど、うーん、ねっ。音数が多くてベースラインを共有できるとかコード全て押さえているとかならまだしも、オクターブ違ったら違う音になるんじゃないかな?詳しくないのでもちろんわからない。

勝手に高い音だけ拾って、レベルアップの音はGAsB♭♪だと思いこんでいたよ。音数を同時にたくさん鳴らせないときに、こうやって工夫していたのだろう…。すごいなあ(語彙力)

書いても消しちゃう夢

最近、ブログから遠ざかっている。ごく稀に深夜テンションでせっかく書いても、明け方のまどろみのなかで削除してしまう。ちなみに、このブログを執筆しはじめたのも午前3時過ぎである。よって高確率で非表示になると思う。でも、今の自分に「刺さる」内容をかけたらワンチャン消さないかもしれない。そして、消さないかもという予感はある。

 

ただしそもそも、ここ1ヶ月ほどはアホなんじゃないかというほど何も考えずにぱっぱらぱーな生活をおくっている。だから、ブログを書こうという発想にもならない。浮かんだもやもやは、頭の隅っこにとりあえずひょっと寄せておく。どうせすぐ思考の中心に戻ってくるけど、そのときはまた隅っこにふわっと寄せればいい。

そんなこんなで、まったく頭を働かせない日々を過ごすなか、1年ぶりくらいに会った友人と飲みにいった。彼女は非常に聡明だ。彼女の的確な言葉に触れていくうちに少し脳みそも動きはじめ、考え事が捗るようになってきた。私は単純だ。

 

私を含む愚かな人間は、報酬を得るためにとった行動からなるべく利益を多く手に入れたい、と思ってしまいがちだ。選択肢を広げるため&自由になるためにとった行動が、かえって自分の世界を狭くしてしまうことはよくあることなのだろう。

説明がわかりにくいな。せっかくaという目標を達成したのだから、aができる人にしか手に入れられないものを手に入れたいというという発想のことをさしているつもり。

 

個人の視野には、ある種の有限性があるからこそ、壊れない世界があるのかもしれない。だからとても扱いにくいけど、しかし何も考えずにぐちゃぐちゃにしていいものではないとも感じる。ものごとの解決を図ろうとするときに、いまの状況をひっくり返したり、原因となっていそうな物事を排除したりしようとしがちだけど、実際はそんなに単純なもんでもないと思う。なにがどう絡まってるかわからないのだから。シンプルだったら、もっと私、そしてこんなしょうもない文を読んでいる画面の向こうのあなたももっと「合理的」なはずだ。

大して更新していない期間も、このブログにぽつぽつとアクセスがあるという事実が、人間の複雑怪奇さを物語っている。

 

私はどこかでは破天荒さをもちながらも、本質や根幹はかなりの安定志向だ。だから、いつだって夢は夢のままで終わってしまう。自信のなさゆえだろう。

いまもまた同じことを繰り返そうとしている。楽器を買いたかったこと、ものごとの理が知りたかったこと、ピアノの調律師になりたかったこと…そうした気持ちに嘘はなかったけれど、それはすでに思い出になっているのだ。

私は安定の奴隷だ。

だからなに

1ヶ月更新が空いてしまった。だからなにということもないのだけれど、公式からメールでせっつかれたので(もちろん自動送信のやつだけど)、文を久しぶりにしたためてみようかなーと思った。夏休み最終日、いや、もはや後期初日の午前2時半ころのことである。しかもその前にあげたブログも、ネタだけ下書きにしていたものをそのまま公開しただけのものなので、改まって書くのは本当に久々ということになる。

 

だからなに。暴力的な言葉だなあ。つまらない人間である私にとってはなおのこと。

 

やっとこさ来年度からの行き先が決まった。このまま今の城を拠点にできそうな感じなので、なんとか一安心。と、簡単に1行で済ませてはいるけれど、ブログの更新が滞るほどには追い詰められていた。コロナのせいで進学先の選択肢が減り、思いもしなかったところの院試を受けてみることにしたのが100日前。そりゃあたいそう学業に勤しんでいたのではないでしょうか……。

…よく言うわ。ふざけんな。2週間前くらいまでほとんど勉強せず、毎日罪悪感とともに底辺ユーチューバーの動画視聴にお熱をあげていた。

まだまだ残っていた単位の回収活動をしていたころは、1日15分のNHK語学(を週に何回か…)で勉強した気になっていたのもあり、そこまで罪悪感を感じずに息抜きと称してインターネットにいそしんでいた。そんな私の7月某日のスクリーンタイムは、ツイッター5時間、ユーチューブ4時間、chrome7時間。

ふと3週間前になって、私はこのまま無職になるのかもしれないと気づき、急にめっっっっっっちゃ焦った。おのれの愚かさを受け入れきれず、ガチで泣いた。しかしその翌日も性懲りなく、5ちゃんで便所の落書きのような書き込みをぼーっと眺めていただけだった。ただ、眠くなりはじめた頃に、急に感情のマグマがどわーっとあふれて、家に引きこもっているのが急に不安になった。

そこで、髪の毛をブリーチしたり、定価2万円のワンピースが75%オフなので衝動的に購入したり(ちなみに不良品が届いた上に試着したら似合わなかったので返品した、おもしろ体型はこれだからつらい)、久々の人にイタ電をかけたりとなかなか有意義に過ごした。ロングスリーパーっぷりが加速していたこともあり、このころは1日15時間ほど寝ていた。そのためあっという間に1週間が過ぎ去った。

私はあと2週間で無謀な量の勉強をこなさないと、大卒ニートまっしぐら、という状態に追い込まれた。そのために、予備校時代の友人を巻き込んでオンライン自習室を連日開いてもらって、どうにか1日1時間はかなり集中して机に向かうことに成功した。

結果としては思っていた半分くらいしか勉強は進まなかったものの、勉強している時間はかなり集中していた。まあ、手をつけたところはどうにかなっているんじゃないかという根拠のない自信を獲得したので万々歳。

1日2,3時間×10日程度しか勉強していないにも関わらず、自信を獲得できたのはコスパ良すぎ。ふふ。こうでも思わんとやっていけないお★

 

私は長時間しっかり努力できる人に憧れている。しかし高校生くらいまでは、そういう人をバカにしていた。

自分自身は、少ない勉強時間で(というか火事場の馬鹿力で)なんとかなっているということをどこかで誇りに思っていた。私ってひょっとしたらポテンシャルが眠っているのかも…だからやればできるに違いない!とさえ思っていた。傲慢だ。その根拠のない自信がもはや怖すぎる。

浪人したあたりで、自分は結局アホなのだということをちゃんと理解した。努力をする才能がないから、ものごとを一生成し遂げられないのだ。さらに本当に「地頭」のよい周囲の人が、高校生という枠を飛び越えたのもあってかそのすごさを徐々に垣間見せはじめた。それで、あっ、勝てないなとちゃんとわかった。とはいえ、『努力さえできれば』土俵にたてるはずだと信じる傲慢さは今もちゃーんとある。だから私は、こつこつ積み重ねられる人に憧れている。

 

(眠すぎて私自身はまったく会話に参加しなかった)サークルの人たちの電話で、日記のよさについて話していた。それをきいてこれからはちゃんといまの気持ちを書き留めていきたいなと考えたのもあって、とりあえず文章をしたためてみた。

でもなんかこれ、事実を少ない語彙で羅列しているだけだ。何年かたったあと、自分のそのときの気持ちを追体験できるものであるのが日記の理想なのかもしれないけれど、この期間の感情は正直思い出したいものではないのでまあいいのかもしれない。

 

ねむいからもういいや。午前3時12分。おやすみ。この眠気はちゃんと眠れるように普通の眼鏡の上からブルーライトめがねをかけた成果なのかな。そう信じよう。

だからなに。

想像力と罪悪感

8月4日、レバノンの首都ベイルートにて大爆発が起きたようだ。例のごとく私は、その日も普通に1日中布団にくるまりながら非生産的な生活を送っていただけだった。だから、ツイッターで騒ぎになっているのをぼーっと眺めても、そうか…大変だなあ…ゴーンは生きているのか…?という陳腐な感想しか浮かばなかった。消費されるニュースの一部として無意識的に受け流そうとしていたのかもしれない。

でも、生々しい映像をみてからは、どうもそういった状態ではいられなくなった。火事のあとに起こった大爆発の瞬間、一瞬で崩れ落ちていく街並みをみてはっとした。そこには、その瞬間まで日常があったんだ、ということを実感して怖くなった。

 

 

 

私はいままで、運よく自分の住む街が根こそぎぶっ壊されたことはない。そのせいか、事件や事故、災害などで壊された街の、その以前の様子を実感したことはなかった。平和ボケしている私は、滅茶苦茶になっている場所の、滅茶苦茶になる以前に対する想像力があまりにも希薄だったのだ。

人一倍事件や事故などには関心があるほうだとは思う。中学に上がり自分の端末を与えられてからは、特に掘り下げていくようになった。でもそれは、ある種フィクションの世界を眺めていただけにすぎなかったのかもしれない。

というか、感じるのが怖かった。数年前、調布の飛行場から自家用飛行機が民家に墜落したときの速報ニュースで、黒焦げになった遺体がうつりこんでいたのを見てしまったときに、それをはっきり自覚した。私がいつ黒焦げになるかわからない。たまたま今黒焦げにならずにすんでいるだけだ。私の住む田舎は飛行機が1日に20本くらいしか空中を舞わないけど、それでもしばらくは飛行機が通ると心臓がバクバクした。

 

毎年、戦争体験記には目を通す。でも、いままではどこかで概念かのように感じ、遠い「過去」として悲惨な物語を享受していただけだ。そんなこんなで今年は、例年以上に精神的にダメージを受けた気がする。

単なる記号としての死者ではなく、それぞれの人生が存在していたこと。そしていつ自分が記号として哀れまれる対象になるかわからないこと。偶然生き残った人たちによって、我々の世代は存在している。もし爆弾が数メートルでもずれていたら、私の友達も、私も存在していなかったかもしれない。

平成から令和にかけてのいまの時代、飛行機が自分のもとに墜落してくる確率は、おそらく宝くじで超高額当選するよりも低い。そうであるのにもかかわらず、私は調布のニュースをきっかけに上空の飛行機にそれなりの恐怖を抱いた。戦時中は、飛行機が恒常的に爆弾を落としてくるものだという認識があったとするならば、私が抱いた恐怖とは比較にならないものに常にさらされていたのだろう。

 

しかし過去の人々と苦痛を比較することも野暮であるというのもわかっている。今が苦しいというのもまた事実だからだ。

また逆に、実際にいまも、自由に外出や飲食がままならず、実家に帰省することすらできないという世界におかれている。しかし、そのことにストレスを感じている実感はもてない。被害状況や生活はみんな違うとはいえ、「みんな同じ状況」におかれていると感じてストレスを感じることに対して抑圧されているからだ。

もちろん程度は全く違うけれど、戦時中に人々が我慢できていたというのは、そういう抑圧があったのだろうか、なんて考えた。

 

歴史の勉強が苦手だったけれど、いま勉強したらまた違った視点がえられるのかもしれない。でも、自分の少しだけもろい感受性が暴発するんじゃないかと怖くなる。こういう姿勢がダメなのだというのもわかっている。でも、自分を守らなければいけないとも思う。難しい。

どこかで起こった出来事を概念化して認識していたのは、無意識の自己防衛のためだったのではないか、と気づいてしまった。

 

私は東日本大震災で特に大きな被害は受けていない。だから、私が震災を語ることはできない。震源地からも遠く離れているので、学校がしばらく休みになったくらいものだ。

私は、まだ電気も戻らないうちから、むさぼるように被害状況を調べた。携帯のワンセグで動画を見てしまった。テレビには絶対うつらないような、むごい映像もみた。震源地から遠いのに、はっと目を覚ますレベルの余震がしつこくしつこく続いていたため、もしかしたら自分も朽ちる「モノ」になるんじゃないかと震えていた。5月に吹奏楽定期演奏会を控えている状況だったので、余震のがたがたという音をかき消すために、とりあえず音源を爆音で何度も聴いた。おかげで、南風のマーチやライヴリーアヴェニューを聴くといまだにちょっと怖くなる。

私は、画面を通して傍観しているにすぎないし、そして自分の意志でみていたのだ。でもやはり、怖かった。これって、突然逃げられない状態で被災し大切な人を喪った人からしたらあまりに身勝手な恐怖だと思う。

 

だが、そのあと2年くらい、どこかの空間にひとりでいられなくなったというのも事実だ。体調がよくないときだと未だに怖い。朝まで怖くて眠れなくなる。何の被害もなかったのにこんなになっている自分が恥ずかしくてたまらなくて、そして被災者に申し訳なくて、それを誰にもいえなかった。

いま、ここではじめて懺悔する。こんなことどこかに吐き出すべきでもないんだろうし、そして自分で処理しなければいけないことでもあるんだろうけど。愚かだ。

 

いまでも、緊急地震速報や携帯のアラート音を聴くと身体が硬直する。その音を聴くより突然なにかに襲われた方がまだ正常な判断が出来そうだと考えて、携帯の警報は切っている。下宿のテレビをめったにつけないのも、それが原因だ。誰かとラインしながらテレビを見ることはできるけど、ひとりで見たいとは決して思えない。

数年前に、当時のテレビ放送の様子をみたときにも頭が働かなくなった。未来からみているのだからその速報がいつ流されるかというのはわかっているというのに、それでもその速報の音をきいたらやっぱり駄目だった。

 

客観的にみたら、これは典型的なPTSDだ。

俳優が命を絶った件の報道に慎重になるべき理由もここにあるのではないか。過去のトラウマを引き出してしまうかもしれないし、詳細な報道によって新たなトラウマを植えつけてしまうかもしれない。彼の悲しみなんてわからないけど、それでもきっとどこかに傷つく人はいるのだろう。

 

ほとんど被害もなかったくせに、いまだに震災を引きずっているということは人生の汚点だと思っていた。自分の愚かさの象徴のようにすら感じている。それはもちろん今もだ。でも、それを恥じている限りは、先日の放送で傷ついた人をも恥じることにつながるのかもしれないと思った。そんなことはない、んだけど。

大学の専門もあってか、自分以外の人が傷つくことに対しては敏感すぎるくらいだと思う。客観的な尺度による程度なんて関係ない。そのときその人がどれだけ衝撃を受けたかということが大事なのだから。

でも、自分が確実に9年前に喰らったダメージは絶対に認められないし認めたくない。いまも苦しむ人たち、亡くなった人たちに対する申し訳なさしか浮かばない。

 

 

 

私が3歳まで過ごした街は、高速道路の向こう側かこっち側かで運命を分けた場所だ。家族は、私がその街のことを全く覚えていないと思っている。でも、私の脳には(きっと多くの改ざんがなされているのだろうが)残っていた。そして、私がもしその街に住み続けていたら通っていたであろう中学校は高速道路の向こう側だったということも知っている。さらに住んでいたころには高速道路がまだなかったので、10年はやく震災が起きていたら、もしかしたら……。

浪人する直前の3月に、図書館で勉強をすると嘘をついて外出した私は、電車に乗って記憶をたどりにいった。私が保持していた記憶はおおむね合っていた。でも、そうだと思い込んだだけなのかもしれないから、これもしまっておくべきことなのだろう。

自己弁護のような後だし、我ながら見苦しい。

 

 

私はブログをどのように位置づけているのだろうか。みられることを意識しているようで、していない。あとね、あんまり関係ないようでいて関係があるけど、もう勉強したくなくなるときがある。知りたくないなと思うこともある。まあ、これは言い訳です

1本10円の浪漫

一人称的視線からなにかを語るときは常に皮肉やフェイクを混ぜていたい。でも今日は、そういうのは抜きでいこうかな。

誰かに電話でもかけてみようかとも考えたけど、こんな時間に楽しくもない話を聞きたい人なんて誰もいないだろうし、なにより声をつまらせずに話すことができる自信がなくて、やめた。そもそも、誰か特定の人に話したいわけではなくて、自分では抱えきれなくなったもの、そして向き合わなければならないものを、ほんの少しでいいからどこかに捨てたいのだ。消そうとしたいけど消せなかったから、捨てたい。そういうわけでネットの海に、濁り*1をもたらしてみようかと思う。

 

私はどんなときだって、自分の本音から目をそらしている。ときには抽象化したり、さらにそれを別の具体に落とし込んでみたり、すり替えてみたり、完全になかったことにしたりする。このように虚構のなかに自分を放流し、そこにある快楽に溺れているだけだ。誰かが防衛機制と名付けてくれたことによって、そんな自分もひとまずギリギリ許されている。私は誰に許されたいのだろうか。

 

私が最も苦手な人間は、ほかでもなく自分自身だ。私は、私がした悪行を具体的に知っている。自分を好きになりたいと言っているけど、そんなのはうそ。自分が自分を罰することで自分が自分としてかろうじて形を保っているにすぎないのだ。

眠ろうとすると、抑圧されていた記憶らしきものが瞼の裏に突如現れて怖くなる。どうせそれは脳がつくったイメージにすぎず、おそらくフィクションだ。それなのに私は自分がなにかを被った側だと錯覚し、多少の憐れみを抱いてしまうのだけど、実際はむしろ加害側なのではないかと最近気づいてしまった。

罪を憎んで人を憎まず。なにか悪いことをしてしまった人にはなにかしらのバックグラウンドがあり、それはその人自身にとってどうしようもなかったことなのかもしれない。罪ともに人を突き放してしまったら、どこにも救いがなくなってしまう。私は大学で、そんなことを考え、知ろうとしている。

そのくせに、私は私を許せない。嫌いで嫌いでどうしようもない、簡単に死なせたくない。苦しんで生きていてほしい。本当に許せないというのはそういうことなのだ。どんなに頭では人を突き離すのはよくないことだとわかっていても、憎しみが勝ってしまう。

私を私が二人称的視点でとらえるときは、苦しめ苦しめ苦しめと思っている。一方、一人称視点からすると苦痛は苦痛なのだ。

すさんできたなと思うと、私はいつも意識的においしいものを食べにいく。だけどその五分後には、あんな嫌いなやつにお金を使ってしまった、私は親不孝だ…と気が滅入ってどうしようもなくなる。

 

つまりは自分をいためつける言動が快楽になってしまえば、ある程度の苦痛からは逃れることができるというわけだ。いろんな私にとって幸せをもたらすのだから。

これは最近になるまで気づけなかったことだ。理由がわからなかったのだ。だめだなと思いながらなので、より一層自分が嫌いになり、衝動が強くなる。そうして逸脱していく自分を見かねた優しい人と、守れない約束を無理やりとりつけるはめになり、案の定守れなくて人を裏切る。怒っている人も、あきれている人もいた。

でもまあいいやと悠長に構えていたところ、なんかそれではだめなようなので、20歳になったあたりからとりあえず自分を「大切に」してみることにした。そうしたら、危うい均衡がガクッと崩れてしまい、心身のバランスを崩した。それまで案外健康だったのに、周りが思う「自分を『大切』にする像」が私を蝕んだ。すごく恨めしく思った。でも、これ以上罪悪感を抱くのもきつかったので、もうこれでいくしかないと考えた。

そもそも、私にある程度の善意を向けてくれる人に対して、恨みを抱くようなやつが健康なわけもない。私は平凡な異常者だ。

 

勉強の進みがあまりにも芳しくなくなってきたので、一時的にでもそろそろすきなだけ自虐的な態度になるしかないかもなあと思った。

でも、せっかくここまで「自分を『大切』にしたのに」という貧乏性が炸裂したのも事実。そこで、自分の愚かさをこうして晒すというかたちで自分をいためつけることにしてみました。すっきりしたよ。ありがとう。

 

1本10円のロマンにときめきつづけることは、「子ども」のすることなのかもしれない。でもそれはそれでありだということを証明したいという気持ちもなきにしもあらず。と、いいつつもなによりの願いが「普通」になることなのだ。そうしたら、私の「子ども」っぽさにだれも気づかなくなるはずだから。

*1:どうでもいいけど、綾鷹にごりほのかの不自然な薄さが後味としてのどに張り付く感じ、嫌いじゃない。

SNS疲れ

私ははじめて梅田にいったとき、アトリウムのあたりで足がすくんだ。私が生きてきた世界にはこんなところはなかった。私にとっての「都会」は、地元から車で3時間ほどの地方政令指定都市だけだった。ああ、私の人生はおそらくこれから想像しえないものになっていくんだなあ、と実感した。

その感慨とともに生きてきたはずが、その感慨すらももう遠のいている。相変わらず芋臭いし、「染まった」わけでもない。むしろ京都で自転車を乗り飛ばしながら地味に暮らしているだけだ。だけど、梅田にいってももう感動しない。

 

ここ最近、ツイッターなどで、まだ一度も大学に足を踏み入れたことのない1回生だとおぼしき人々が、「大学は大学生を軽視している!」とか「はやく通常授業に戻せ!」と声をあげている。その動きはとてもいいことなんだろうし、そうして声をあげてくれる人がいたからえた恩恵にあずからせていただいたものも数多いと思われる。

でも、青いなあ、と思ってしまう。この発言、もしかして冷めている今どきの大学生、とラベリングされてしまうものだろうか。

 

まだ一度も大学に足を踏み入れていない1回生が、大学がどういうところなのか、どういう仕組みなのかわからないのは当たり前。そして私がこうして感じていることも、あくまでも3年間(かなりさぼりながら)大学に在籍していた学生としての立場でしかない。本質的な「大学」なんてこれっぽっちもわからない。それぞれがそれぞれの立場でしかものを考えられないのは当たり前のことだけど、もう少し異なる立場の人に関心を寄せる努力だけでもしたいなというのが私の気持ちだ。

 

私が通っている大学は、この騒ぎのなかではおそらく全国のなかでも有数の判断のはやさ・的確さを誇っている。2月上旬に卒業式・入学式の中止を決定していた。これに対して発表されたころの私は正直やりすぎだなあと思ったけど、今思うと最良の選択だったと思う。それから、テストについても対面かオンラインかで直前まで揺れている大学も多かったようだけど、すべてレポートにするというのを4月頭に発表していた。支援金の振り込みも尋常なくはやかった。図書館に関する対応もとても迅速かつ的確だった。印刷の支援もあった。

大学をほめたたえたいわけではない。

わけのわからない広告を莫大なお金をかけて打っていたこともある。文科省に媚びるために15回授業や出席主義を徹底していて、「自由」な大学像からはかけ離れている。こうしたことにも何か事情があるのかもしれないが、いち学生からは見えないものなので、そりゃあ多少なりとも不満は抱いてしまう。

そうしたしょうもないこともする大学のくせに、今回の対応はまあよかった。吊り橋効果なのかなともうすうす思うけど、でもできる範囲で対応してくれたと少なくとも私は感じている。

 

こうしたなかで「大学はなにも対応してくれない!」と騒いでしまうことは、少々ずれているように思う。想像できないことにしても、どうしてほしいのか?それによるリスクやデメリットは?それを打ち消すためにはどうしたらいいのか?というところまで、あと一歩でもいいから思考を巡らせるだけで話は少し好転すると思う。

いま起こっている現象は、なにかしらの理由や流れがあって、表面化してくるものなのだから、まずはそこに思いを巡らせなければならないような気もする。

 

うまく言葉にできない。自分の考えをただただ表明することは、思考停止なのではないかなと思った。自分にとっての正義で、誰かを傷つけてしまう可能性があるかもしれないから。決して博愛主義者ではないし、むしろ戦闘派ではあるのだけれど、でもだからこそ私はできる範囲で咀嚼してから発言したい。

 

うまく言えない。人の主張に触れるのに疲れてしまったので、最近はほとんどツイッターをみなくなってしまった。シャットアウトするのは逃げだというのはわかっているんだけど、しばらくお休みすることで自分を守ろうとしている。

 

このままだと通常授業に戻ったら、また学校にいけなくなってしまうだろう。そして親類には「大学を頑張っているよ!」とうそをつき、友人にも「眠くてさぼっちゃった」「大学だるいわ」とうそをつき、ツイッターでひどい成績をさらしてファボ稼ぎをして承認欲求を満たし、私は虚構のかたまりとなっていく。

大学を頑張っているというわりには中身がないという痛いツッコミをうけたりとか、さぼるのは甘えだ!という(そこまで親しくもない)同級生からの叱責をうけたりとか、ファボ稼ぎの寒さにどんびきされたりして、どんどん私の周りからは人がいなくなっていくし、信用なんか当然されない。

こうなるともはや自業自得でしかない。私はうそつきという看板を一生背負い、最後はそれが十字架へとなっていくのだろうか。

 

逃げるのをやめたい。そのために今はまず逃げさせて。

おひさ☆

久しぶりになってしまった。それなりの頻度で、突然衝動的に自分の内面にあるものを吐き出したくなってしまうので、案外続いていたはずなんだけど……。

 

私は、芸術・スポーツ、なにをとってもからしきだめなので、自己表現ができないし、なにかに自分の思いをのせることはあまりない。だからこそ、こうしてわりと直接的な文章でストレスを発散するほかないのだ。

ここ数年は急に精神年齢が増してきたせいか(自分で言っちゃう?まあでも私は中高時代恐ろしいほど幼かった)、さしつかえのない範囲で、ということをかなり意識するようになった。言う情報は考えているけど、嘘はついていないというギリギリをさぐっていく感じ。計算高い感じがするのも気持ち悪いし、適度に奔放さも残しておかなきゃいけないな、なんてとこまでも考えている。もちろん、そんな自分が気持ち悪くて仕方ない。

自分に自信がないし、そもそも自分を許してくれる人ってそう少ないから、器用にごまかさないと生きていけないと思う。

世の中がこうなるまで、摩耗させながらも自分の狂気と戦ってきた。

 

それをやめた、というと聞こえがいいけど、私は逃げているだけなんだと思う。

私の周囲にいる人は、みんなどこかに個性があって魅力的。それに対して、私の非凡な部分は欠点でしかなくて、大事なところはなんでも中の下。欠点を面白がってくれたり、尊重してくれたりする周りのやさしさすらイタく感じてしまう。中の下を中の中にする努力をしているうちに、多くの人の背中が遠のいていく。

 

我ながら卑屈だ。卑屈になるのはだめだとわかっている。だから頑張ってポジティブになろうと努力している。つもり。でも結局それは本質的に前向きになっているわけではなく、自分の考え方を蔑む行為でしかなくて、よりいっそう卑屈になってしまう。

今の私が自分を守るためにできることといったら、何も考えないようにすることしかないのだ。食べたいものをなるべく食べて、自分の欲求にはなるべく素直に生き、ストレスを与えない。そうして満たすことによって、自分の思考を止めることが大事だ。心が動かされそうな創作物を徹底的に避けて、ぼーっと予定調和なYouTubeを見ている「非生産的」な時間を過ごし、どうしようもない人間を生み出している。

 

 

面白いね、と言ってもらえることはあるけど、それは求められていることにあまりに逸しているため、その逸脱を面白さとして認識される、つまり「ピエロ」になるという道を選んだときだけだ。私の内面はちっとも面白くない。どうしたら見捨てられないか、どうしたら自分が存在していてもいいのか、それをひたすら考えつづけているだけなのだ。

 

「中の中」になることを目標にし、あまり向いていないことを頑張りながら、自分がはみ出してしまっている部分を頑張って削らなければいけない。

私はこつこつ頑張る才能がない、と思う。短期でガッとごまかすことなら得意だけど。だから、頑張っていない自分はだめだなあと思いながら、1年のうち363日くらいは生きている。

いつになったら頑張らなくてもいい世界線にいけるのか。ああ、「大人として」頑張らないと生きていかれないのかね。怖いな。

おぼえが悪い、不器用、そうした欠点をガッツで乗り越えるのはなかなかに難しい。難しい、なんてつべこべ言っていないで、こうしている間も努力をしなければならないのだろうけど、それができないから人間なんだよね。

 

卑屈で面白味のない人としゃべるのはつまらないと思う。そう考えると、私は相手に不快感を少なからず与えているはずだ。

だから誰とも話したくなくなるし、誰かと話したあとは必ずたくさんの後悔がうずまいて布団で枕を濡らす。だれとも話していない日にも、ありとあらゆる後悔や不安がうずまいてとにかく眠れなくなる。そうして朝がやってきて明るさに安心してから寝る。勉強が全くすすまない。

 

そこそこ楽しいブログにしようとしたのに、こんなことしかかけないのは本当に情けない。将来への不安がある時期だから仕方ないと思うことにするしかないね。

卑屈さ全開で、読んで不快にしかならないであろう文章をどうしてブログにあげてしまったのか。それは助けてほしいからです。どこまでも自分勝手だ。私はひとに弱みをみせるのが嫌いだし、元来頼りたくない。でも、文章をしたためてしまった。これは一種の生存本能なのであろう。

だからといって救いの手を差し伸べられたとしても、困惑しかしない。むしろ踏み込まれたくない。これは淘汰されるべきなのか。