vbnm1005の日記

恥をかき集めた

「復活」

2015年12月、センター試験を控えたその冬に、私はマーラー2番と出会う。その日、N響の演奏がNHKで放映されていた。私はリアルタイムで全てをみたわけではないし、楽しみにしていたわけでもない。その放映を見ていたある師が、「今やばいのやってるよ」とLINEをくれたのがきっかけで、なんとなくチャンネルを変えた。

やばかった。テレビのなかという、遠いどこかの、もはや概念のような空間で、しらない誰かがなにかをしているにすぎないのに、やばかった。語彙力を失った。まあ、失ったといいながらも単純に語彙がないだけであるというのは否定できないな。当時も、今も、劇的に少ない語彙をこねくりまわして生きているので。新しい語彙が欲しいなと強烈に思っているけど、脳ミソがついていかない。

まあそれはおいておいて。あのとき、なにに感動したか未だにわからない。風呂場の防水テレビという、超絶ゴミ音質なのにもかかわらず、心が震わされた。安い人間、なのかもな。上等上等。それから、YouTubeにあがっているアバドの音源と、ドゥダメルの音源を毎日聞いた。それを繰り返しているうちに、私はセンター試験を2度受け、2度同じ大学に落ち、気づけば大学生になっていた。

私にとって、新しい世界に飛び出そうともがくときの象徴的な曲となった。

大学生になってからは、頑張らなきゃいけないときにいつもBGMにしていた。1時間半、集中する時間としても丁度良い。レポートの締め切りがまずいとき、どうしても部屋をかたづけなければいけないとき、なにか煮詰まったとき、いつもマーラー2番だった。

私はこの冬の引退をきっかけに、10年心を砕いてきた吹奏楽から離れた。引退から1ヶ月ちょっとという最高のタイミングの今週末、東京にN響の演奏でマーラー2番「復活」を聴きにいきます。

生で聴くまで死ねない、とずっと思っていた。なのに、こんなにすぐチャンスが巡ってきてしまった。 生で聞いたあとの私はどのように進化するんだろう。まさか死んでもいいや~なんて思わないはずだ。もしかしたら、なにも変わらず日常が進むのかもしれない。まあ、それもそれでありだ。純粋な演奏だけではなく、いろんな意味で今からドキドキしている。なにかが変わるのか、それともなにも変わらないのか。私はどう思うのか。聴いてみないとわからんね。

 楽曲解説があまりにないから、本当にきいていなくても書けそうなブログだ。中学生のうすっぺらい読書感想文かよ。でも本当に好きなんだよ!なけなしのうんちくを披露するのはあまりに気持ち悪いという矜持が、曲の内容に触れさせなかっただけなんだ!